続室内楽を聴く楽しさ(シューベルト、ドヴォジャーク、スメタナ弦楽四重奏曲)
<続室内楽を聴く楽しさ>~シューベルト、ドヴォジャーク、スメタナ弦楽四重奏曲
シューベルト(1797~1828)の室内楽といえばピアノ五重奏曲「ます」がポピュラーですが、1820年作曲されたものに「弦楽四重奏曲 第12番 ハ短調<四重奏断章>D.703 遺作」という未完の作品があります。
ロマン派音楽の先駆者として古典派音楽からの解放を模索していたシューベルトは、この曲で大きく変わり以降第13番「ロザムンデ」、第14番「死と乙女」、第15番と傑作を作っていきます。
上のCDの中の「弦楽四重奏曲第12番ハ短調<四重奏断章>」を演奏しているドロルツ四重奏団は、ベルリンフィルの第1ヴァイオリン奏者のエドゥアルト・ドロルツによって1950年結成されたドイツの弦楽四重奏団です。 歴史的名演も多く今も多くのCDのファンの方がいるようです。
♫シューベルト「弦楽四重奏曲 四重奏断章 D.703」~ボロディン四重奏団♫
次はドヴォジャーク(1841~1904)の弦楽四重奏曲について書きます。(ドヴォジャークはチェコでの発音です。)
ドヴォジャークはチェコの誇る大作曲家ですが後期ロマン派に属しボヘミア楽派の作曲家です。 1891年プラハ音楽院の教授に就任しますがその後1892年ニューヨークの音楽院の院長として招かれアメリカに渡ります。 そのアメリカ滞在中の1893年に作曲されたのが弦楽四重奏曲第12番へ長調「アメリカ」です。
そして1895年アメリカを去りますがチェコに戻って作曲したのが「弦楽四重奏曲第13番ト長調」です。
上のCDを演奏しているのはヴラフ四重奏団ですが、全員がプラハ音楽院出身のチェコの弦楽四重奏団です。 you tubeにヴラフ四重奏団の演奏がアップされていましたのでリンクします。
♪ドヴォジャーク「弦楽四重奏曲第13番ト長調第1楽章」~ヴラフ四重奏団♪
第13番はドヴォジャークが苦難やまた栄光の後、故郷チェコに戻り自然の中に生きる喜びを描写していて活気に満ちた音楽だと思います。
1901年ドヴォジャークはプラハ音楽院の院長に就任します。
♪7月26日の記事「中3の時私が初めて訪れたプラハ音楽院とプラハの思い出」~谷 真子♪
(私が行ったのは1996年で、1989年民主化そして1993年チェコとスロヴァキアに分国という歴史的な出来事の後でした。)
スカンジナビア航空でコペンハ―ゲンを経由してミュンヘンへ行きそこからバスでプラハへ入りました。
プラハ城ではアメリカの作曲家のクラシックコンサートも開かれていました。
次はスメタナの「弦楽四重奏曲第1番ホ短調わが生涯より」をご紹介します。 自伝的な音楽で大変感動的な作品です。
上のCDを演奏しているのはパノハ弦楽四重奏団というグループで、全員プラハ音楽院出身の現代のチェコの誇る代表的な弦楽四重奏団です。 草津夏期国際音楽アカデミーにも毎年来日していた実力派グループです。
ちなみにスメタナ(1824~1884)と言えばモルダウの連作交響詩「わが祖国」で有名ですが、チェコスロヴァキアの民主化を祝する1990年のプラハの春音楽祭で、亡命していたチェコの巨匠クーベリックが42年振りに祖国に戻り「わが祖国」の指揮をした事を覚えていらっしゃる方も多いかと思います。 感動的な音楽祭のライブ映像と「わが祖国」の演奏にリンクします。
♫1990年プラハの春音楽祭オープニング・コンサートライブ(チェコスロヴァキアの民主化を祝して)♫
さて弦楽四重奏曲「わが生涯より」は1876年に作られた作品ですが第1楽章で若き日の情熱、あこがれ、不幸への予感を、第2楽章で陽気な若者を、第3楽章で妻となる初恋の女性との幸せな日々を、第4楽章でチェコの国民音楽への自分の見解、成功、そして聴覚の異常からの幻聴、運命への諦めを表現しています。
♫スメタナ「弦楽四重奏曲 第1番 ホ短調 わが生涯より」~スメタナ四重奏団♫
ちなみにスメタナの「わが生涯」のCDのパノハ弦楽四重奏団が参加していた草津夏期国際音楽アカデミーには毎年B-tech Japanから技術の方がべーゼンドルファーのメインテナンスに行かれます。 ベーゼンドルファーのピアノは一番人の声に近いピアノと言われており室内楽やドイツリートでは良く使用されます。 私がいつもお世話になっている技術の菊池和明さんも毎年のように行かれます。 今年の音楽祭の模様がB-techのホームページに今アップされていますのでリンクします。
♫B-tech Japanホームページより~草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル模様♫
明日はモーツァルトの弦楽五重奏曲について書きます。
(門下の方のご家族でCDをお聴きになられたい方は生徒さんがその旨を受付でお伝え下さい。)