シューベルト ピアノ・ソナタ 第13番D.664、第21番D.960
MESSAGE
シューベルトは18歳から最晩年の死の直前までピアノ・ソナタの創作に意欲を持ち続け完成曲とみなされているものだけでも計11曲を書き残しております。 ところが、そのうち生前に世に出た作品はわずか3曲にすぎません。
ピアノ・ソナタに関する限り長く不遇の扱いを受けてきたシューベルトですが近年になっては事情は一変しシューベルトのピアノ・ソナタが著名なピアニストのプログラムを多く飾っております。
<ピアノ・ソナタ13番D.664>
1819年の夏、シューベルト(1797~1828)は友人の歌手ミヒャエル・フォークルに誘われてオーストリアのシュタイルに演奏旅行に出かけます。 この旅でピアノ五重奏曲「鱒」が生まれたのは有名ですが、その折にお世話になった商人の家の娘で、アマチュアながら声楽とピアノに秀でていたヨゼフィーネ・フォン・コラーのために、このピアノ・ソナタは書かれました。
故に当時18歳の少女にプレゼントされたこの曲は規模が比較的小さく、技術的にも難しくなく、愛らしい曲想に溢れております。 歌曲のような抒情性とソナタの構成感が自然に結びついた作品で、音楽的才能に満ちたコラー嬢の面影を想像させるような優しく爽やかな名品です。
第1楽章
2つの主題はまるで歌曲のような無類の美しさです。
第2楽章
この楽章の美しさも筆舌に尽くしがたく、ピアノによるリートとなっております。
第3楽章
自由なソナタ形式のフィナーレです。 華やかなピアノ技巧を駆使して楽しい気分を盛り上げております。
♫ピアノ・ソナタ13番♫~アラウ
♫ピアノ・ソナタ13番♫~シフ
<ピアノ・ソナタ21番D.960>
ピアノ・ソナタ第21番は1828年9月26日という日付を持ったシューベルト最後のピアノ・ソナタです。 ベートーヴェン以降書かれたピアノ・ソナタの中で、最も深く内省的で洗練され、詩情あふれており、ピアノ・ソナタの傑作と言えるのではないかと思います。
また前年亡くなったベートーヴェンの偉業へのチャレンジとしてシューベルトらしいピアノ・ソナタの世界を樹立させたとも言えるのではないかとも思います。 シューベルトは自分の創造した主題旋律に自信を持っており、それを展開していく事をまるで拒否したかのように、転調法でハ‐モ二ーの世界に主題のメロディを響かせ融けさせていきました。 同じウイーンという空間に住みながらべート―ヴェンとは全く違った方法論で先輩のピアノ・ソナタに並ぶ大傑作の創造に成功したのです。
シューベルトはその若き最晩年に病状が悪化し1828年に入ってからは誰の目にも衰弱が激しくなってまいりますが、反比例してシューベルトの名声は高まってまいりました。 そのため創作意欲は衰えず大作を次々と生み出してまいります。 9月には最後の3つのピアノ・ソナタ(D.958 D.959 D.960)、また8月頃には「白鳥の歌」を作曲しております。 しかし11月には31年の短い生涯を閉じる事となります。
ピアノ・ソナタ21番D.960には、死を意識したとしか考えられないような浄化された崇高美が備わっておりますが、その書簡類からは回復に対する希望を多く持っていた事が残っております。 また公のコンサートとでの演奏を意図し出版も考えていたようです。 ディアベリ社からソナタ3曲が発行されたのはシューベルトの死から10年後の1838年でした。
第1楽章
全体が「歌」に満ちた歌うソナタ形式となっております。
第2楽章
この楽章も歌に満ち溢れた楽章です。 第1楽章に比べるとより内面的で静かな表情が胸を打ちます。
第3楽章
第4楽章
展開部を欠く長大なソナタ形式ですが、リズミカルな性格で統一されており、情緒としては一貫しております。 最後は一気に曲を終えています。
♫ピアノ・ソナタ21番♫~アラウ
ピアノ・ソナタ13番~シフ
ピアノ・ソナタ13番、21番~ルプー
18歳の頃東京・代々木にあるヴェルディ・アートサロンでワルター・ハウツィッヒ氏によるマスタークラスでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第26番「告別」を見て頂いた際、前の方がこのシューベルトのソナタのレッスンを受けておられ、ハウツィッヒ氏がこの第2楽章を弾かれ、とても美しかったのを覚えています。
1921年ウイーン生まれ。 18歳の時にナチスの難を逃れて渡米。 シュナーベルに師事した名匠。 1956年初来日以来日本で積極的に小品集を録音。
カテゴリー♪シューベルト♪の他の記事についても合わせてお読み頂ければと思います。