ドビュッシー 前奏曲集第1巻・第2巻
クロード・ドビュッシー(1862~1918)は24曲の前奏曲を書き、それをそれぞれ12曲ずつの2巻の前奏曲集として出版いたしました。 前奏曲集第1巻は1910年に、前奏曲集第2巻は1913年に完成いたしております。
ショパンの「24のプレリュード」やバッハの「平均律」を意識していたとは思いますが、ドビュッシーは24のすべての調を使って規則的に書き上げてはおりません。 ドビュッシーがこの曲集で扱った素材は、伝説、風景、人物、詩、小説などで多彩ですが、そうした素材をドビュッシーの心の中の幻想の世界に採り入れ、より純化し、変幻自在な書法で音楽で描写いたしております。
ドビュッシーは少年時代からピアノに親しみパリ音楽院でも作曲を専攻するまではピアニストを目指していたためピアノという楽器には精通しておりました。 また評論活動も盛んで80篇を超える評論を書いております。
自己の感性の中に潜むファンタジーを音で綴り上げることを創作の理念としてしていたフランス印象派音楽を代表するドビュッシーは、そういう才能と自らが開発したピアノの斬新なテクニックを用いて、より抽象的で幻想的な世界をこの「前奏曲集」の中で表現しております。
ちなみに初版のデュラン社の楽譜では各曲のタイトルを楽譜の最後のページの終止線の下に括弧で括り書いております。 これは必要以上に標題音楽としてとらえ過ぎないようにというドビュッシーの意志を示しているのではないかと思います。
↓安川加寿子氏校訂版より
前奏曲集第1巻
第1曲デルフィの舞姫たち - Danseuses de Delphes
「ゆっくりと荘重に」
ルーブル美術館の思い出がタイトルの由来となっております。 ギリシャの古代都市デルフィの神殿の舞姫たちの姿を描いた音楽であろうと思われます。 まるでサラバンドのような音の流れの中に古代への憧憬やエキゾティックな雰囲気が描写されております。
第2曲ヴェール(帆) - Voiles
「中庸の速さで」
錨を降ろした帆船または神秘のヴェールのどちらの意味にもとれますが、軽妙で流動的、またミステリアスな味わいの作品です。
第3曲野を渡る風 - Le vent dans la plaine
「活発に」
20年前にドビュッシーはヴェルレーヌの詩「そは、やるせなき」で歌曲を作曲しておりますが、その詩の中の「風は野で、息をとめる」からタイトルが付けられております。 野を渡る風や時折吹きつける疾風を表現しているかのようです。
第4曲夕べの大気に漂う音と香り - Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir
「中庸の速さで」
ボードレールの「悪の華」の中の「夕べの調べ」の詩の一節にインスパイアされて作られた音楽です。 しなやかなリズムとデリケートな色彩感がドビュッシー独特の世界を描写しております。
第5曲アナカプリの丘 - Les collines d'Anacapri
「極めて中庸の速さでー活発に」
アナカプリとはイタリアのカプリ島にある街の名前で高い崖の中腹にあります。 そこに行くには500段あまりの石段を昇るか、細くくねった道を行くしかありませんでした。 蜘蛛の毒から人を救うために始められた舞曲がその町にはありましたが、ドビュッシーはタランテラのリズムの旋律やナポリ民謡を用いて、南欧的な雰囲気を音楽で描写しております。
第6曲雪の上の足跡 - Des pas sur la neige
「悲しげにゆっくりと」
荒涼な凍てつく世界が鮮烈に描かれております。
第7曲西風の見たもの - Ce qu'a vu le vent d'ouest
「活発に騒然と」
アンデルセンの童話の「パラダイスの庭」からのタイトルです。 この物語の中で西風は「見たもの」について語ります。 フランス人にとって西風は凶暴な嵐ですが、ドビュッシーは西風が強く吹きまくる荒々しい様子を描写しており、激動的なダイナミックな音楽です。 ドビュッシーには珍しい過激な音響効果が特色です。
第8曲亜麻色の髪の乙女 - La fille aux cheveux de lin
「非常に静かに、やさしく表情をつけて」
フランスの詩人ルコント・ド・リールの「スコットランドの歌」におさめられた同名の詩にインスパイアされた作品です。 可憐な美少女の肖像を透明な感触で描いた音楽ですが、他の曲と違って変ト長調に調性がはっきり決まっており旋律的な曲です。 ルコント・ド・リールの詩に曲を付ける試みは最初期の作品から見られますが、この曲も未発表の古い歌曲からの編曲のため、そうなったのではないかと思われます。
♫亜麻色の髪の乙女♫~ツイメルマン
第9曲とだえたセレナード - La sérénade interrompue
「中庸な活発さで」
アンダルシア風のリズムに乗った作品でスペイン的な情緒が色濃く滲み出ております。
第10曲沈める寺 - La cathédrale engloutie
「深い静けさのうちに」
ブルターニュに伝わるケルト族の伝説にインスパイアされて作られた作品です。 イゾルデの生まれた町のイスの寺院はイスの民の不信仰のために海中深く沈んでしまいますが、住民への見せしめのためにカテドラルは日の出とともに浮上するという伝説です。 和音を連ねた楽譜は視覚的には建造物を造るようにアーチを描いております。
第11曲パックの踊り - La danse de Puck
「気紛れで軽妙に」
ドビュッシーはシェイクスピアの「夏の夜の夢」を愛読しておりました。 オベロンの角笛の響く中、いたずらものの小妖精パックの踊る姿が音楽で表現されております。 またアーサー・ラッカムの描く「夏の夜の夢」の挿絵もヒントになったと言われております。
第12曲ミンストレル - Minstrels
「中庸の速さで」
元は1820年代のアメリカの農園で生まれた音楽です。 黒人たちは、ケークウォークを踊り、コルネットやバンジョーやドラムを鳴らしミンストレル・ショウを開きます。 それがヨーロッパに伝わり楽しく賑やかなショウは当時のパリで絶大な人気を博していたようです。 ドビュッシーは様々な楽器や宙返り、タップダンスなどの様子を巧みに描写しております。
第2巻
第1曲霧 - Brouillards
「中庸の速さで」
3段になる楽譜↓の一番下の段は、ほとんど白鍵で和音で書かれています。 上の2段はおおむね黒鍵で分散和音の形になっております。 その流れと白と黒の濃淡が夢幻的な霧の世界を生み出しております。
第2曲枯葉 - Feuilles mortes
「ゆっくりとメランコリックに」
平行和音やリズムのコンビネーションでメロディが揺れ動きます。
第3曲ヴィーノの門 - La Puerta del Vino
「ハバネラの動きで」
ファリャがドビュッシーに送ったグラナダの絵葉書によってアイデアが生まれました。 それにはアルハンブラ宮殿にあるこの門が描かれておりました。 光と影の激しい対比の音楽です。
第4曲妖精たちはあでやかな踊り子 - Les Fées sont d'exquises danseuses
「急速で軽快に」
「ピーター・パン」のフランス語訳に収められた挿絵にインスパイアされて作曲しました。 そこに描かれている妖精は蜘蛛の糸の上で蜘蛛の弾くチェロに合わせて踊ります。 8分の3拍子を5分割、4分割、トリル、7分割しリズムのアラベスク↓が展開されます。
第5曲ヒースの荒野 - Bruyères
「静かに、甘美な表情で」
黄金色の麦畑、薄紫に広がるヒース、沈む赤い太陽、そんな大自然を好んで描いた画家の展覧会にドビュッシーは通いその絵からインスパイアされて作曲しました。 全音階的な書法で書かれた懐かしいシンプルな響きの作品です。
第6曲奇人ラヴィーヌ将軍 - Général Lavine - excentrique
「ケークウォークのスタイルと動きで」
アメリカの喜劇俳優エドワード・ラ・ヴィーヌを通してドビュッシーは繊細な諧謔をみせます。 シンコぺーションのリズムがユーモラスな効果を見せています。
第7曲月の光が降り注ぐテラス - La terrasse des audiences du clair de lune
「ゆるやかに」
「メトード・ローズ」の中の童謡「月の光に」の一節が変容された、インドを舞台にした物語です。
第8曲水の精 - Ondine
「スケルツァンド」
水底に住む危険な妖精オンディーヌの伝説です。 同じ素材を基にしながらラヴェルとは全く違い、ドビュッシーは水のようにうつろう時間の神秘に眼を向けております。
第9曲ピクウィック殿をたたえて - Hommage à S. Pickwick Esq. P.P.M.P.C.
「荘重に」
ピクウィック卿とはイギリスのディッケンズの小説「ピクウィック・ぺーパーズ」の主人公の事です。 イギリス国歌が用いられております。
第10曲カノープ - Canope
「とても静かに優しく悲しげに」
カノープとはナイル河のほとりにある古代エジプトの都市の名前ですが、やがてそれはエジプトの骨壺の名前となりました。 廃墟と死を思い起こさせるこの音楽は悲しくクレッシェンドしてもpになるばかりです。
第11曲交代する三度 - Les tierces alternées
「中庸の活気ある速さで」
3年後に完成する練習曲集を予告する最も抽象的な作品です。 三度の変化による多彩な響きのイメージです。
第12曲花火 - Feux d'artifice
「中庸の活気ある速さで」
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が用いられております。 鮮烈で豪華な音の絵巻で前奏曲としては大作です。
♫花火♫~ツイメルマン
♫ドビュッシー 前奏曲集第1巻・第2巻♫~ツイメルマン
安川加寿子
明日はシューマンの幻想小曲集について書きます。