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ショパン ピアノ協奏曲 第1番ホ短調 第2番ヘ短調

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モーツァルトのクラビコードとピアノフォルテ

ショパン(1810~1849)にはオーケストラ曲は1曲もありませんが、ピアノとオーケストラのための作品は6曲書いております。 この中で「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22」以外は20歳までつまりポーランド時代に書いております。

ワルシャワ近郊の村に生まれたショパンは7歳の時にジブ二ーについてピアノを習い始め、8歳でワルシャワの慈善演奏会に出演致しました。 また12歳でワルシャワ音楽院院長に作曲を学び始め、ロシア皇帝の前で演奏した翌年に16歳でワルシャワ音楽院に入学致します。 1827年17歳で初めて管弦楽とピアノのための作品として作曲した「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノの主題による変奏曲」作品2はシューマンに「諸君、帽子をとりたまえ、天才だ!」と絶賛されます。

モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」による変奏曲 作品.2

1829年7月ワルシャワ音楽院を卒業したショパンはウイーンに行きそこで演奏会を開き絶賛を博します。 プラハ等に立ち寄った後9月に帰国し1829年第2番のピアノ協奏曲を書き上げます。 翌年1830年3月ワルシャワショパン自身が初演をし大成功を収めます。 

第2番の大成功に気を良くし勇気づけられたショパンは早速次のピアノ協奏曲に取り掛かります。 1830年11月にはショパンワルシャワを後にしてウイーンに向かいますが、母国との永遠の別れとなる旅立ちの前の10月にワルシャワでの告別演奏会でショパン自身の初演で第2作のピアノ協奏曲の第1番を初演致します。 ちなみにこの頃はピアノ協奏曲が一気に全楽章演奏される事はなく楽章の間にショパンの初恋の人のコンスタンツィア・グラドコフスカのソプラノ独唱などもあったようです。

番号が作曲順と逆なのは楽譜の出版順に番号がつけられたからです。 第1番がパリで初演されたのは1832年2月で初版は1833年となっております。

まずキーシンショパンピアノ協奏曲第1番にリンク致します。

ショパン ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11♫~エフゲニー・キーシン(ピアノ)、ズービン・メータ指揮、イスラエルフィルハーモニー

第2作なので第2番と比べると構成が重視され規模が大きくなっておりますが、オーケストレーションに弱点があり何人かの手によって手直しがされておりますが、現在ではオリジナル版で演奏される事が多いです。 第1楽章はワルシャワへの告別を力強く語っており、第2楽章はショパン自身が「美しい春の月明かりの夜のような」と書いておりますが、ショパンらしい哀愁をたたえた美しい楽章です。 第3楽章は飛翔の意の感じられる生気に溢れた溌剌とした雰囲気です。

次はルービンシュタインショパンピアノ協奏曲第2番にリンク致します。

ショパン ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21♫~アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)、アンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団

この第2番は一度も話をした事がなかったショパンの初恋の人のコンスタンツィアへの青年ショパンの心情から書かれた作品です。 コンスタンツィア・グラドコフスカはワルシャワ音楽院で声楽を学んでいたソプラノ歌手ですが、ショパンは友人に彼女への愛を告白し彼女を想いながら作曲したと手紙で認めております。

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クリスティアン・ツイメルマン(ピアノ)、ポーランド祝祭管弦楽団

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マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、ロンドン交響楽団、ワシントン・ナショナル交響楽団

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音の詩人ショパン 田村進著 音楽之友社

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ショパンパリコレクション (株)ショパン

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ナショナル・エディション版

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パデレフスキー

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続いてショパンのワルツについて書きます。